「こんな別嬪さんが見舞いにくるとは、おまえさんも隅に置けないな」
車椅子の老人だった。いくつも袋をぶらさげている。さっき会ったときよりも顔が紅くて、全体的にしまりがない感じがした。酔っているんだろうか？
「あんたは初めて見る顔だな。こんなきれいなお嬢さんに会えるとは今日は実にいい日だ」
どうやらエドワードさんを女性だと思っているらしい。よくあることだけれど。エドワードさんがきょとんとしているうちにと、僕は急いで訂正にかかった。
「ええと、『彼』は、いつも見舞いに来てくれる僕の……」
「彼」に力をいれて言ってみたが、老人は聞いていない。
「恋人かね」
情況を把握し始めたらしく、エドワードさんの眉間にちょっとだけ皺が寄る。
「ちがいますったらっ！」
僕は慌てて否定する。
老人は僕のベッドの上のバラの花束に目を留めると、さらに上機嫌になった。
「バラか、バラだな。情熱と愛の花だ。”薔薇も一層あかく燃え立つて”。青春だな、青春」
「いや、だからそうじゃなくて」
こういうときに相手の名前を知らないと呼びかけるのに不便だ。
「夕食後にと思っていたが、お客人がいるなら今でもいいだろう」
老人は車椅子にぶらさげた袋をかき回すと錫のマグカップを二つ取り出して僕らに渡し、これまた袋から取り出した水筒から何かを注いだ。
「まあ、飲め」
マグカップにおそるおそる口をつけたエドワードさんの眉間の皺がさらに深くなった。
「ワインだ」
「そうだ、ワインだ。『キリストの血』だ。上物だぞ」
水筒を袋にしまうと、老人は大仰な身振りで叫んだ。
「じゃあな。クリスマスおめでとう！」
部屋にはカップを手にした僕たちふたりだけが残された。
「何だ、あのじいさんは？ 知り合いか？」
エドワードさんが尋ねる。
「知り合いっていうか……長く入院してる人らしくて、たまに談話室で会うんです」
「酔ってたよな」
「みたいですね」
「……いいのか病院で。でも確かに……いいワインだ」
エドワードさんがつぶやいて、そのまま呷ろうとするから、思わず止めた。
「だめです、一気に飲んじゃ。あなた、お酒に弱いんだから」
「それをいうなら、おまえだって怪我人だろうが。飲まずにオレに寄越せ」
「いやです、これは僕の分です」
言い合ってから、二人して顔を見合わせ、同時に噴き出した。傷に響く。
笑い出したら止まらなくなって、涙が出てきた。
僕たちはビアホールでよくこんな風に言い合いをした。
「やっぱり傷に悪そうだから、これはあなたにあげます」
笑いの発作が治まると、僕はエドワードさんにカップを差し出した。
「あなたとまた会えて嬉しい」
さっき言えなかった言葉は今度はすんなりと口から出てきた。
「オレも……嬉しいよ」
そう言ってエドワードさんが微笑った。
2006/01/23
====================
クリスマス話。この時代のドイツの病院のクリスマスがどんな様子かなんて知らないので、適当にでっち上げました。
このときホーエンハイムとアルは病院の庭にいます。
「薔薇も一層あかく燃え立つて」は、ハイネの「新しい春」（生田春月訳）の一節。
車椅子の老人の正体についてはオマケを参照
背景はPhoto Material 7Styleの素材を加工して使用しています。