「よう、ハイデリヒ、おまえさんも居残り組か」
廊下を通りかかった車椅子の老人が声をかけてきた。ときどき談話室で見かける話好きの老人だ。僕は名前を知らないが、向こうは僕の名前を知っている。ずい分と長いこと入院しているらしく、この病院のあれこれに詳しかった。もしかしたら、この病院にいるすべての人間の名前を知っているかもしれない。
「今日は親父さんは来ないのかね？」
「え？」
老人の言葉に一瞬面食らった。僕の両親は、僕がここにいることを知らない。
「あごひげで髪を伸ばした――親父さんじゃないのか？」
その言葉で彼が言っているのが、ホーエンハイムさんのことだと分かった。
「いえ、あの人は父ではなくて……」
そこまで言いかけて言葉に詰まる。正確には友人の父親だけれど、それでは入院費まで負担してもらっている説明がつかないだろう。余計な詮索を避けるために、僕は当たりさわりのない嘘をつくことにした。
「……親戚です。多分今日は――来ないんじゃないかな」
「……そうか、それじゃおまえさんもお仲間だな。あとでいいもん持ってきてやる」
そういうと老人は目配せをして低い声で付け加えた。
「いいか、看護婦には内緒だからな」
わざわざそう付け加えるからには、見つかったら困るものなのだろう。
「今日の食事は特別だ。もっとも病院食だから、たいしたもんじゃないが」
そう言って老人は部屋を出て行った。
同じ部屋の人たちはクリスマスの一時帰宅を許されていたから、この病室に残っているのは僕だけだった。病院にいる患者の数は減っているはずだけれど、今日は見舞い客のせいか廊下はいつもよりにぎやかな気がする。
談話室で特別にミサもあるという話だった。そういえば、小さなクリスマスツリーも飾られていたっけ。
僕は窓際に吊るした天使のオーナメントを眺めた。オーナメントは看護婦さんの一人にもらったものだ。
雪は止んだようだった。
ぼんやりと窓の外を眺めながら、一人でクリスマスを過ごすのは初めてだなと思った。子供の頃は家族と一緒だったし、家を離れたあとも仲間と一緒だった。去年はエドワードさんもグレイシアさんもいた。今年は――僕の傍には誰もいない。
いや、二度とクリスマスを迎えることができないと覚悟したことだってあったのだ。一人でクリスマスを過ごす侘しさなんて嘆くに値しないと、僕は自分を慰めた。僕のように病院のベッドでクリスマスを過ごす人は他にもいるのだから、正確には一人じゃないのだし……。
そのまま起きていると気分が滅入るばかりなので、夕食の時間まで眠ることにした。
特別なごちそうって何だろう？ 美味しいものだといいのだけれど。
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