「兄さーん」
周囲にいた兵士たちに押しやられて、アルフォンスはエドワードとは何メートルも離れてしまった。エドワードの小柄な姿は人の陰にかくれて見えなくなる。
部屋の灯りが消えた。
「わっ、まっくら」
いきなりの暗闇にアルフォンスは戸惑う。
ぼんやりと光る塗料で目印がつけられているのは、テーブルや柱だろう。部屋の隅には光るリボンで囲まれている場所があって、どうやらそこはさっき司会者がいっていた「聖域」の場所らしい。
「兄さん、あそこまでたどり着けたかな」
ともかくそっちへ行ってみようと、そろそろと歩きだしたとき、小さな叫び声とともに人が倒れこんできた。
思わず片手を出してささえる。
「ごめんなさい。他の人とぶつかっちゃって……」
相手が言った。女性のようだ。
「大丈夫ですか」
「アルフォンス君！？」
相手には声と鎧の感触でこちらが誰だかわかったらしい。
「そうですけど、ええと……」
アルフォンスの問いかけに、てきぱきとした答えが返ってきた。
「私よ。リザ・ホークアイ」
「中尉！」
言われてみれば聞き覚えのある声だ。
「すみません。邪魔ですよね。今どきますから」
「かまわないわ。むしろそのまま居てくれると、他の人が避けてくれて、ありがたいわ」
実際、暗闇の中を手探りで歩いてくる人々は、アルフォンスの鎧に触れると方向を変えていく。おかげで、アルフォンスの隣にいるホークアイもぶつかられたり触られたりせず、安泰というわけだ。
二人の周囲からは靴音や衣擦れの音に混じってささやき声やなまめかしいキスの音が聞こえてくる。
「あんまり教育によろしくないわよねぇ」
ホークアイがつぶやいた。
「本当はもっと早い時間にあなたたちを帰す手配をするはずだったのだけれど」
なぜかうまくいかなくて……とホークアイはため息をついた。
「いえ、いいんです。でも、兄さんが……」
「エドワード君なら多分大丈夫よ。大佐が保護に向かったから」
「保護？」
アルフォンスが聞き返す。
「保護……だと思うけど……」
どことなく歯切れが悪い。ホークアイにも確信がもてないらしい。
「大丈夫よ、アルフォンス君。大佐はそんなに無体なことはしないから。……しないと思うわ……」
やっぱり歯切れが悪い。
気まずくなった空気をとりつくろうようにアルが質問した。
「ええと、中尉はこんなところにいていいんですか。……あの……お相手の人とか……」
「いないわよ、そんな相手」
アルフォンスの質問は言下に否定される。
「本当はこういうの苦手なのよね。でも女性が少ないから欠席するわけにもいかないし」
ホークアイがまたため息をつく。
「そうですか、ボクはちょっとうらやましいなぁ……あ、いや、あの、その……」
いいかけて慌てるアルフォンスにホークアイが優しく問い掛ける。
「うらやましいって、何が？」
「……キス……できることが。今のボクには無理だから……」
アルフォンスも一応13歳の少年だから、キスへの興味はあるのだ。
「かあさんのキスの感触も、もうよく思い出せない」
「そう……」
一瞬の沈黙の後。
「アルフォンス君」
ホークアイが呼びかけた。
「は、はい？」
「屈んで」
「え？」
「屈みなさい」
有無をいわさぬ口調にアルフォンスはおとなしく屈みこむ。
「もうちょっと屈んで」
ホークアイがアルフォンスの鎧を手探りしている。
「そうね、このあたりかしら」
ホークアイの身体が寄り添ってきた。
「新年おめでとう、アルフォンス君」
その言葉とともに、アルフォンスはホークアイの唇が頬に触れるのを確かに感じた。
そして明かりがついた。
背景素材は篝火幻燈からお借りしました。