暗くなりかけた資料室の片隅に積み上げた本を枕にして、金髪の子供は眠っていた。赤いコートを着込んだまま丸くなって寝息を立てている姿は、どこか子猫を思わせる。手から滑り落ちたらしい本が、開かれたまま床の上に一冊。
ロイ･マスタングは落ちた本を拾い上げると書架に戻し、眠り込んでいるエドワード･エルリックの横に屈みこんだ。
「鋼の、こんなところで寝ていると風邪をひくぞ」
「うん、アル、でももう少し……」
そういってエドワードは身じろぎしたが、すぐにまた寝息をたてる。
「アルフォンスか……。君の頭の中は、いつも弟のことばかりだね」
ロイはつぶやくと、今度は子供の肩をそっとゆする。エドワードは嫌がるようにニ三度首を振るが、やはり起きない。
「そうしていると、大変可愛らしいんだがな」
起きているときの眉を寄せ金色の瞳で周囲を睨み上げている表情からは想像もつかないほど、長い睫毛を伏せた寝顔は頼りなげであどけない。
わずかに開いた唇にくちづけてやったら、目を覚ますだろうかと不埒なことを考えてみる。
頬にかかる髪を掬い上げながらささやいた。
「鋼の、そんな風に無防備だと、悪い大人にさらわれてしまうよ」
それでもまだ起きないエドワードを見つめて、ロイはため息をもらす。
ここから連れ出したほうがいいだろうかと思案しているところに、背後から声がかかった。
「兄さん」
振り返るとアルフォンス・エルリックが立っていた。鎧姿にもかかわらず、アルフォンスは時には猫のように静かに動くことができる。いつから見ていたのだろうかと思いながら、ロイはエドワードの方を指さす。
「なかなか起きなくてね」
「昔からそうなんです。兄さんってば、寝起き悪くて」
アルフォンスもエドワードの肩をゆすってみるが、やはり目を開けない。
「どうする？ 執務室にでも連れて行くか？」
「大丈夫です、連れて帰ります」
アルフォンスは答えると、兄の脇に手を添えて、そのまま抱き上げた。大きな鎧に抱えあげられたエドワードの姿は幼い子供のようだ。
「兄さん、宿に帰るよ」
「う……わぁた……だりぃ」
エドワードは不明瞭な口調でつぶやくと、髪をかきあげ何度も頭を振り、アルフォンスにしがみついた。アルフォンスの肩越しに、ぼんやりした眼差しで周囲を見渡す。ロイとエドワードの視線が合った。
ロイはエドワードに笑いかけて言った。
「やあ、鋼の。今お目覚めかい？」
金色の瞳が戸惑うような表情をみせ、次に大きく見開かれた。頬が一瞬のうちに紅潮する。そして――。
「降ろせっ！ アルッ！」
エドワードが身をよじって叫んだ。
「暴れないでよ、兄さん。落ちるよ」
アルフォンスはエドワードを放す気はないようだ。
「誰が持ち上げていいといった？」
「兄さんが悪い。眠りこけてて、呼んでも起きないんだから」
いぎたなくて悪かったな早く降ろせ、とわめくエドワードに構わずアルフォンスは続ける。
「そんな風に無防備だと、誰かにさらわれてしまうよ」
暴れているエドワードの耳にその言葉は届いていない。もっともその言葉は、エドワードにというよりは、もうひとりの人物に聞かせるためのもののようだ。
ロイの笑顔が少しだけこわばる。
――それは牽制か？
ロイはアルフォンスを見つめるが、鎧の面に表情など見つけることはできない。アルフォンスは無言でロイを見返す。
「アル……お・ろ・せ！」
エドワードの怒気を含んだ声で、ようやくアルフォンスは兄を床に降ろした。
「帰る」
脱げかけたコートを羽織り直して、エドワードは不機嫌にひとこと告げると部屋を出て行った。
その姿を見送るロイの前にアルフォンスが割り込む。
「それじゃ、失礼します」
丁寧に挨拶をすると、アルフォンスは兄のあとを追う。――ロイの視線からエドワードの姿を遮るようにして。
「まいったね」
残されたロイはひとりごちる。
――強情ではねっかえりの眠り姫に近づくには、あのナイトの監視をくぐりぬけなきゃいけないのか。
思わず苦笑がもれる。
End
アルフォンス>>背景素材はHANGED MANからお借りしました。