第五研究所の関係者以外立ち入り禁止の扉の鍵を開けながら、研究者の男は卑屈な笑みを浮かべて、後ろに立つ軍部高官とその連れの女に言い訳がましく話しかけた。
「バタバタして申し訳ないです。この時間のご訪問には慣れてないものですから」
「ごめんなさいね、こんな時間に見学をしたいなんてお願いして。でも、『あれ』は夜行性なんでしょ。動いてないとつまらないじゃない」
長い黒髪の黒衣の女はあだっぽく笑って研究員に言った。
秘密裏に研究所の資金援助をしている後援者のひとりだという触れこみだが、実際のところはどうだか分かったものではないと、黒いドレスの襟元からのぞく豊かな白い胸にちらちらと目をやりながら研究員は思った。
「所長さんは、今どうしてらっしゃるの？」
「タッカー博士ですか？ 多分ご自分の研究室でしょう。あの人は研究熱心ですからね」
「ご挨拶したいわ。案内して」
「申し訳ないんですが、研究中は誰も入れるなというのが博士の……うわっ」
研究員は最後まで言葉を続けることができなかった。後ろからするりと近づいてきた女の鋭い牙が首筋に食い込んだからだ。
「ぐずぐずいわないで、さっさと案内しなさい」
さっきとは打って変わった女の鋭い語調に、目の光を失って繰り人形と化した研究員がうなずく。
「それじゃ、エンヴィー、あんたは『半成り』を始末して。必要な資料を手に入れたら、ここは燃やすから、手早くね」
エンヴィーと呼ばれたのは、先ほどまで軍部高官の顔をしていたはずの人物だ。准将の制服を着てはいるが、いつの間にか長い黒髪の年若い男の顔に変わっている。
「ねえ、ラスト、かく乱も兼ねて何匹か放してもいいかな」
「好きになさい」
エンヴィーは「実験室」と書かれた部屋の扉を開けた。
ずらりと並んだいくつもの檻の中から、赤く光る目がこちらを見つめている。
「あーあ、こんなにいるのかよ。血清を使って吸血鬼の成りそこないを作ろうと考えるなんざ、本当に人間ってのはどこまで生意気で愚かなんだろうね」
ウンザリしたようにエンヴィーはつぶやいた。
＊
ドーンという爆発音と振動とで目が覚めた。アルフォンスはベッドから身を起こして様子をうかがう。この建物ではないが、近くで何かが起こったらしい。そろそろとベッドから降りて窓の外を見ると、病院からさほど離れていない建物から火の手が上がっていた。こちらに燃え移る心配はないだろうが、あの爆発音は何だったのだろう。そう思いながら室内に目をやったアルフォンスは、床の上のあるものに気が付いた。
小さな銀の装身具だ。銃や制服と一緒にベッドサイドに置いてあったものが、さっきの振動で床に落ちたのか。
手を伸ばし、拾い上げてじっと眺めた。銀の鎖に細かな文様が刻まれた銀のメダルが下がっている。
ふと、記憶の底で小さな声が響いた。
『お守りをありがとう。私の大切な人たちを守ってね』
それから自分を見つめる金色の瞳と赤い唇を思い出した。
『でもお前は生きて、幸せに暮すんだ』
蕩けるような甘い記憶と響く声。
『忘れろ、アルフォンス』
そして――。
『賭けをしよう、アル。これから、何が起こるか教えてやるよ。もしもそれが思い出せたならそのときは、ハンターとしての務めを全うすればいい』
記憶の封印は解かれた。
銀の銃に銀の銃弾を篭める。
銀の縫い取りのある黒い制服を羽織る。もう傷は痛まない。
アルフォンス・エルリックは、「協会」の「執行官」として病室を後にした。
背景素材はSilverry moon lightからお借りしました