令嬢のために車を呼んで来るといって部屋を出た下士官のひとりはまだ戻ってこない。
アルフォンスは向かい側に座る黒いレースのドレスのむっつりと黙り込んだ美少女を眺めなから、どうしたものかと、心の中で呟いた。
吸血鬼事件の対策本部の責任者であるロイ･マスタングとともに、軍部の会合とやらに呼びつけられ、珍獣めいた扱いでこの街の有力者たちに紹介されたあげくに、客人の令嬢の護衛――というよりはお守り――を任されることになった。おおかた、会合の場からアルフォンスを締め出すための口実であろうが、ままあることなので、気にはしていなかった。「協会」が吸血鬼と同等に疎まれる土地もある。それに比べれば、ここでの扱いは、はるかにマシだった。
当面の問題は、この少女との間の気まずい空気をなんとかすることだろう。
女性の扱いには多少慣れているつもりのアルフォンスだったが、気難しいのか人見知りが激しいのか、取り付く島もないこの令嬢にはいささかてこずっていた。
アルフォンスの質問にも、そっけない答えが返ってくるばかり。知ることができたのは、この少女がエディスという名で、姉や兄と一緒にセントラルからこの街にやってきたということだけだった。
結局アルフォンスは質問もあきらめ、黙って座っていることにした。
年は十二歳ぐらいか、凝った作りのレースのドレスを着た、小柄で金髪のきつい目をした人形のような美少女は、眺めているだけでもなかなか楽しい。
アルフォンスと視線をあわせようとはしないから、目の色がよくわからないのが残念だった。
やがて、沈黙に耐え切れなくなったのか、少女が口を開いた。
「おま……あなた……吸血鬼ハンターね？」
「そうです」
「いつから？」
「最初の仕事をしたのは三年前です」
「恐くない？」
「何がです？」
「吸血鬼」
「最初は恐かったですよ。もう慣れました」
「どうしてハンターになった……の？」
「復讐のため。それから……贖罪」
少女が顔をあげてアルフォンスを見た。
一瞬だけ視線が交錯した。
少女の瞳の色は金色だった。
少女はすぐに目をそらした。
「母と兄を殺されました。僕だけが助かった、兄のおかげで」
「そう……お気の毒に」
決り文句を口にして、少女は黙る。
それから再び口を開く。
「吸血鬼はまだいると思う？」
気休めをいっても仕方がないので、正直に答えた。
「多分」
それから少女を怯えさせないようにと急いで付け加える。
「でも僕が来ました。あなた方を守るために」
だから安心しろとは言えなかったが。
少女の口元が笑いとも当惑ともつかぬ形に歪んだ。
やはり怯えさせてしまったかと心配になる。
「恐いですか？」
「何が？」
「吸血鬼」
「別に」
「勇敢ですね」
ふと思いついて、アルフォンスは懐から細かい文様が刻まれたメダルのついた銀の鎖を取り出した。
「勇敢なお嬢さんにプレゼントです」
「それ何？」
「銀の護符、吸血鬼避けのお守りです。伝承の通り、銀は吸血鬼には毒なんですよ」
説明してもなお、少女は怯えたような目で銀の装身具を見つめている。
「ああ、すみません。やはり知らない人間から、物をもらったりしてはいけませんね。なら、これはあなたの保護者の方にお渡しして……」
「いい。もらう」
銀の護符を首からかけてやると、ぎこちなく少女は笑った。
迎えにきたずんぐりとした小男の運転する車に乗りこむとき、少女はアルフォンスに向かって言った。
「さよなら。お守りをありがとう。私の大切な人たちを守ってね」
＊
「悪かったな、お守りの仕事などをさせることになって」
会合を終えたロイ・マスタングがアルフォンスに言った。
「構いませんよ、あんな可愛らしいお嬢さんのお守りならいつでも歓迎です」
「美人だったのか。私がそっちを引き受ければよかったな」
「で、そちらでは何か面白い話はありましたか」
「黒髪の美女が来ていた」
「確かに興味深い話ですが、事件に関してです」
「もう事件は解決したのだから、対策本部を解散させてはどうかと言われたよ」
「終わったわけじゃありませんよ。下級吸血鬼が二匹死んだだけです。この街の『やつら』の出現パターンは妙だ。何かあるはずなんです」
「急に仕事熱心になったな、執行官」
マスタングの言葉にアルフォンスはにやりと笑ってみせた。
「ええ、可愛いお嬢さんに頼まれましたからね」
＊
車に乗り込み、執行官の姿が見えなくなると、少女は銀の鎖を引きちぎった。首筋を触ると、鎖に触れた部分が爛れているのが分かる。
「何で銀なんだ。触れねぇじゃないか」
それからヘッドドレスと金髪のカツラをむしり取って床に投げ捨てた。
「くそっ、エンヴィーの奴、こんな格好させやがって！ なんて茶番だ」
いまいましげにエドワード・エルリックはひとりごちる。
エドワードは落ちた護符をじっと眺めていたが、やがて肌に直接触れないように注意して拾い上げるとハンカチで包んだ。
人間であったときの思い出の品はすべてなくした。ようやく再会した弟から受け取った品物は、今の自分の肌を焼く。
「でも、捨てられないよな」
エドワードはそうつぶやいて、ハンカチの包みを握り締めた。
背景素材はSilverry moon lightからお借りしました