ロウソクの明かりだけの部屋の中には、薔薇の香りが立ち込めていた。ただしそれは咲いたばかりの新鮮な花の香りではなく、散り行く薔薇の断末魔の香りだ。
「また薔薇を食ってんのか、おチビさんは」
部屋に入ってきた夜会服姿の青年はそういいながら、上着を脱ぎ、タイをはずした。頭を振ると、金褐色だった髪が長い黒髪に変わった。背も少しだけ縮んだようだ。
話し掛けた相手は十歳かそこらの金髪の少年で、深紅の薔薇の花束を膝に抱え込んでいた。少年は花束から薔薇を一本づつ引き抜いている。
引き抜かれた薔薇は少年の指先で強い香気を発した後、瞬く間に枯れていく。
「そんなものじゃ食った気にならないだろ。きれいなお姉さんでもきれいなお兄さんでも、いえばいくらでも調達してきてやるのに。今食ってきたのも、あんたが飢えに耐えかねたときに襲っているガキ好きの変態オヤジなんかとは比べ物にならない極上品だぜ」
ほら嗅いでみろよと息を吹きかけられて、少年は顔をそむける。
黒髪の青年はつまらなそうに鼻をならして、話題を変えた。
「吸血鬼ハンターのアルフォンス・エルリックが、昨日、また『半成り』を殺ったそうだ」
そこまで言って、相手の反応をうかがう。
金髪の少年は黙ったままだが、耳を澄まして続きの言葉を待っている様子が見て取れた。それを見て黒髪の青年は満足げに続ける。
「派手に暴れすぎたんで始末するつもりだったから、手間が省けたのはいいんだけどさ、どうもロイ･マスタングと一緒になってあちこち探っているみたいで、邪魔なんだよね」
「アルには……弟には手を出すな、エンヴィー」
押し殺した声でつぶやいて、金色の瞳で自分を睨みつける少年を、エンヴィーと呼ばれた黒髪の青年はニヤリと笑って見下ろした。
「まったく弟想いだね、おチビさんは。まあ、あいつも『金目』だし、『お父様』に『金目』は大事にしろっていわれてるから殺したりはしないけどさ、この街での仕事が終わるまでウロウロされたくないんだよね。特に明日は大事な会合があるし……。そこでだ――」
そういいながら自分も薔薇の花をちぎり取る。花はたちまち黒く変色した。
「弟に会わせてやるから、ちょっと時間稼ぎをしてくれないかな。おチビさんは、日光にも聖水にも耐性があるから、『協会』の人間の側にいっても平気だろ」
「断る」
「遠慮しなくていいんだよぉ。十年ぶりの兄弟の再会が、片や凄腕の吸血鬼ハンター、片や吸血鬼だなんて、実にドラマチックじゃないか……なんだその反抗的な目は、エドワード・エルリック」
青年は無言のエドワードのおとがいに手をかけて、無理やり自分のほうに向けさせた。
「自分が飼われてるってことを忘れるな」
ニンマリと開いた口から鋭い犬歯を見せる。
「でないとお前の幼馴染みのウインリィちゃんがどうなっても知らないよ。この前見たら、ずいぶんと美人に育ってたねぇ」
ふいっと目を伏せたエドワードを見て、エンヴィーは手を離す。
「そうそう、おチビさんがおとなしく言うことを聞いていれば、悪いようにはしないから。ま、感動的な兄弟再会がイヤなら、別の演出を考えよう。ああ、そうだ――」
エンヴィーは何か思いついた様子で、ひどく楽しげに笑った。
背景素材はSilverry moon lightからお借りしました