Fire the Embers

　石垣と牧草地の続くのどかなリゼンブールの風景は、あの時と変わらない。あの時は馬車の荷台に乗っていた。今は徒歩だ。

「一緒にいらしていただいて、よろしかったんですか？　お仕事は？」
　私服姿のリザ・ホークアイは、傍らを歩くこれもまた私服のルイ・アームストロング少佐に問いかけた。
「うむ、いまのところ軍部建て直しの会議と書類仕事ばかりで、我輩の出番はほとんどないのである。それに――」
　石垣の続く先に小さく見える黄色い家を眺めやって、アームストロングは答える。
「戻ってきたというアルフォンス・エルリックには、我輩も一度会っておきたかったのでな」
「私たちのことは……覚えていないそうですけれど」
　もう一人の少年の名は、どちらの口からも出ない。
　沈黙が降りた。
　そのまま歩きつづける。

「よく来たね、アームストロング少佐」
　家の前でアームストロング少佐を出迎えたピナコ・ロックベルは、リザに目を向ける。
「あんたも。久しぶりだね」
「はい」

　エルリック兄弟を軍に勧誘するために、リザがロイ・マスタングとともに、初めてこの家を訪ねたのは、もう何年も前のことだ。ふたりがこの家で見たのは片腕と片足を失い車椅子に乗った廃人同様の少年と巨大な鎧姿の彼の弟。
　禁忌に手を出したのだ、と聞かされた。それがどういうことなのか、リザにはわからなかったが、抜け殻のようになった少年が再び立つことはないだろうと思っていた。
　だが、少年――エドワード・エルリック――は、やってきた。機械鎧の手足をつけ、すべてを取り戻すために。
　あの日のロイ・マスタングの言葉が少年の眼に焔(ひ)をつけたのだ。

「ばっちゃん、お客さま？」
　家の中から聞き覚えのある声がした。
「アルフォンスは中にいる。挨拶してやっておくれ」
　ピナコはドアを指さした。
「今日きてくれてよかったよ。来週からアルはダブリスにいくことになっている」

「はじめまして。アルフォンス・エルリックです」
　金髪で金色のやさしげな瞳の見知らぬ少年が右手を差し出した。兄であるもう一人の少年とは、あまり似ていない。母親似なのだろうか。
「……はじめまして。リザ・ホークアイよ。」
　自分より背の低い少年と握手をかわしながら、この声をもった「鎧の少年」と話すときには、いつも相手を見上げていたことを思い出していた。

　アームストロングがピナコとアルフォンスに話しかけている。邪魔をしないようにと、少し離れたところに立ったリザは、チェストの上に飾られた写真に目をやった。そこに写っているのは、ふたりの幼い少年たちだ。ひとりは、たった今アームストロングの質問に答えているあの少年。もうひとりは――。

　エドワード・エルリック――《鋼の錬金術師》。
　「あの人」の――想い人。
　もう――いない。
　エドワード・エルリックは消えた。
　時を同じくして、アルフォンス・エルリックは戻ってきた。生身の人間――すべてが始まる前の10歳の少年として。
　それが何を意味するのか、「あの人」は語らない。
　でも――。
　
　思わずふせた顔に、結ばずに下ろしたままの髪が垂れかかった。かきあげようとして、ふと、この髪に触れた指のことを思い出し、手を止めて写真と自分の髪とを見比べる。
　心の中でつぶやいた。

――こんなに色が違うのに、間違えちゃだめですよ。あなたの触れたかったのは、この髪ではないでしょう？

「かけてください。お茶をどうぞ」
　声をかけられ振り返ると、ウィンディ・ロックベルがカップを手に立っていた。お久しぶりね、と挨拶をすると、最後に見たときよりもずっと大人びた笑みが返ってきた。
「セントラル、大変だったんですよね。シェスカさんから手紙がきました。ええと……マスタング……准将は……」
「療養中よ。軍に復帰するのは、しばらくかかるかもしれないわね」
　二度と戻らないかもしれない――とはいわないでおく。
「リザさん、どうしてアルに会いに来たんですか？」
「准将から、様子を見てこいといわれたの」
　嘘だった。
　今のロイ・マスタングに人に指示を出すような覇気はない。何もかもに無関心で、投げやりだった。ただひとつのことを除いて。はた目には穏やかな態度にみえるだろうが、その瞳にときおり浮かぶものは平安ではなくて虚無だ。

　大総統を斃したからといってすべてが終わったわけではないのに。この国はまだ不安定だ。大総統の「失踪事件」の関係者としての疑惑がいまだ晴れぬ身では、軍の上層部に食い込むことは難しいかもしれないが、それでも成すべきことはいくらでもあるだろうに。
　なのに、ロイ・マスタングの内にある焔(ひ)は消えてしまった。
　エドワード・エルリックが消えたと聞いたあの日から……。

　逃げるように、ここへ来た。あんな姿の彼を見たくはなかった。いっそこのまま流されて、ふたりで静かに暮らせばいいじゃないかと囁く自分のさもしさが嫌だった。
　命をかけてついていきたいと思った「あの人」は、どこへいってしまったのだろう？　その人を守るためならためらいなく引き金を引くと誓った自分は？

　確かめたかったのだ。今の彼の心を動かすことができる、ただ一人の存在が本当に失われてしまったのかどうかを。

――あのとき確かに、あなたは以前のあなたったのだから……。

　二人で買い物に出かけたある日のこと。
　あの人の穏やかな微笑み、ものうげな動き。
　その彼が、いきなり動いた。
　何かを追うように走り出す。
　追いついたリザの耳に届くつぶやき。
『鋼の……』
　視線の先にひらめく赤いコート。
　それはあの少年のものではなかったのだけれど。

「あの……エドの行方は、何かわかりませんか」
　黙ってカップに口をつけるリザに、ウィンリイがためらいがちに尋ねた。
「何も。残念ながら……」
　軍部でも《鋼の錬金術師》の行方を探してはいるのだが、大総統失踪の混乱から抜け出ていない今の組織では、充分な調査は望めないだろう。
　むしろ、ここへくれば何か手がかりがあるのではないかと思ったのだが。

「アルがいうんです。エドは絶対に生きているって。私もそう信じたい。でも……」
　ウィンリイの言葉が詰まる。
「……ごめんなさい。お客様の前なのに。何か手がかりがあったら、知らせてください」
　彼女は無理に口の端を上げて笑顔を作る。

「本当に今日は遠いところからありがとうございました」
　10歳の少年とは思えぬ大人びた口調でアルフォンスはリザとアームストロングにいった。
「あなたが元気だとわかってよかったわ。来週からダブリスに行くんですってね」
「はい、もう一度錬金術の修行をしに。兄さんが消えた理由には、錬金術が関係しているはずだから」
　今日初めてアルフォンスの口にのぼったエドワードの話題に、リザは思わず表情を曇らせる。それに気づいたアルフォンスが尋ねた。
「あなたも、兄さんはもういないと思いますか？」
「え……」
　答えられず口ごもるリザに、アルフォンスはにっこりと微笑んだ。
「兄さんは生きています。僕にはわかる」
　そして、そこにいる人間と自分自身に言い聞かせるように言った。
「僕は兄さんをみつけます。兄さんと会って、連れ戻す。必ず」

　まっすぐな視線。
　ゆるぎない決意。
　焔(ひ)のついた眼。

　同じだ、と思った。
　かつての「あの人」の眼と同じだ、と。
　リザがどこまでもついてゆきたいと思った、あの日のロイ・マスタングの瞳と。
　そして、全てを取り戻すために再び立ち歩き出した、エドワード・エルリックの瞳と。

「会えるといいわね」
　少年に微笑みかけ、それから言い直す。
「きっと、会えるわ」

　ロックベル家を後にしたのは夕刻だった。空が燃えるように赤い。
　来た道を駅へと戻る二人の足元に影が長く伸びている。
　リザは、頭を強く振って、頬におちかかる髪を払う。

　迷うのはやめた。
　セントラルに帰ったら、少年の言葉を「あの人」に伝えよう。そして言おう。
「あなたには、まだ成し遂げねばならないことがある」と。

　あの人の眼に、もう一度、焔(ひ)をつけてみせる。
　そして、共にたたかい、どこまでもついていきたいと願った、かつてのロイ・マスタングを再び呼び戻すのだ。

2005/06/21

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アニメ版最終回後の捏造話。一部原作のエピソードが混入してます。

もともとは2004年10月にアニメ最終回の脳内補完として書き始めたもの。その頃はまだロイエドの人だったので、ロイとホークアイさんがお買い物するシーンが厭で厭で、どうにかあそこを脳内補完したかったのです。

そういう経緯があるもので、この話はロイエドが前提です。
でもまあこの後、リザたんの説得むなしくロイ・マスタングは北方へいって、モコモコ外套を着込んだ伍長さんになっちゃうわけですネ。兄弟とハイエドに転んだ今となってはあんまり気になりませんが。

途中まで書いて放り出していたんですが、「一陽来復」につながりそうだったんでサルベージしてみました。劇場版が公開されたら出せなくなりますから、その前に放出しちゃえと。