店の前を掃き清め、最後の仕上げに入り口のガラスの曇りを拭い落として、アルフォンス・エルリックは「本日休業」の札をかけ戻した。
「掃除終わり。冬祭りの間は本当に忙しくて片付ける暇もなかったから」
冬至を祝う冬祭りはこの国のどこでも行われているが、春の訪れを待ち望む北部と違い、気候がおだやかな南部のダブリスでは単にごちそうを食べて大騒ぎする日として定着している。ここ数日というものカーティスの肉屋も大繁盛で、店主のシグをはじめ店員のメイスンも手伝いのアルフォンスも眠る間もないほど忙しかった。だが祭りも終わって、ようやく休むことができる。
「これで少しはのんびりできるかな」
アルフォンスは伸びをした。とたんに肩のあたりで布がちぎれる音がした。
「ああっ、やっちゃった。また、
シャツの肩口の縫い目が裂けているのを確認して、アルフォンスは情けなさそうにつぶやいた。服を破くのは今月で二度目だ。肩まわりが窮屈になっていたから、気をつけていたのだけれど。
裏口から家に入り、イズミの部屋の前で声をかける。
「
「また破いたのか」
イズミがベッドから起き上がり呆れたように言った。
「すみません」
肩口の破れ目を見せて謝ると、伸び盛りだから仕方ないと苦笑された。
「本当に背が伸びたな……。とても11歳には見えない」
イズミが感慨深げに言った。実際、錬金術を学び直すため師匠のイズミに再入門して半年で、身長は頭ひとつ分も伸びた。
アルフォンスが生まれたのは16年前だ。10歳のとき、アルフォンスの身体はこの世界から消えた。そして5年後、再びこの世界に10歳の姿で現れた。いなくなっていた間の記憶はなかった。だから今のアルフォンスは11歳の少年の姿なのだ。
「縫ってやろうか？」
イズミが言う。
「いいです、自分でやります」
アルフォンスはシャツを脱ぐと店の裏口の階段に座って、繕い物を始めた。店の中より、ここのほうが明るい。
錬金術を使って直すこともできるけれど、アルフォンスは布のような柔らかいものより岩や金属のような硬いものを錬成するほうが得意だったし、錬金術に頼らず自分の手で直せるものは直すというのが師匠のイズミの教えだ。家事全般はイズミにみっちり仕込まれたから、縫い物も得意だ。
『本当に背が伸びたな……』
さっきのイズミの言葉に、昨夜の夢の記憶がよみがえる。
『ずるいな、やっぱり今でもオレより背が高い』
――あれは……兄さんだった。でも、いつもの夢とはちょっと違う。普通の夢とも……違うと思う。
アルフォンスの失われた4年間の記憶はポツリポツリと夢の形で訪れた。それは長い金髪を三つ編みにして機械鎧の手をかざしている兄の姿であったり、救うことができなかった女の子の姿であったりした。だが、それが本当に自分の記憶なのか、それとも周囲の人々の話や写真から作り上げた記憶なのか、アルフォンスには分からない。
ただ、そうやって夢の記憶が降り積もるにつれ、アルフォンスの心の空洞は大きくなった。
――だって、兄さんがいない。
アルフォンスの兄であるエドワード・エルリックは、アルフォンスがこの世界に戻ってくるのと同時に……消えた。軍でも手を尽くして捜しているというのだけれど、行方は杳として知れない。
――兄さん……いま、どこにいるの？
イズミもウィンリィもピナコも口には出さないが、内心では兄が既にこの世にはいないと思っているのだろう。だが、アルフォンスには兄が死んだとは思えない。
――兄さんに何かあれば、僕にはきっと分かる。僕は死なないで、こうして戻ってきたんだ。だったら、兄さんだって。
ゆっくりと、昨日の夢の記憶を思い起こしてみる。
――夜だった。たくさんの灯りのついたロウソクがあった。美しく飾られた木を二人で見上げた。あれを兄さんはなんと呼んでいたっけ？
『……ツリー、聖なる緑の木、永遠の命の象徴』
夢の中の兄は、写真でみた兄よりも大人びていた。髪は長かったが、三つ編みではなく、ひとつにまとめていた。そして右手は……生身ではなかった。
『ごめんな、アル。おまえがせっかく戻してくれたのに、またなくしちまって』
だがその先に続く出来事を思い出して、アルフォンスの動作は固まった。
――うわっーーっ！ なんだってあんなコト。相手は兄さんなのにっ！
頬に触れる唇の記憶。そこまではいい。だが唇に触れる兄の唇の感触は……。
「ツッ！」
指先に針を差してしまった。
血がにじんだ指を口にもっていき、その感触にまた昨日の夢のなまめかしい記憶がよみがえる。唇の……。
――だめだったらっ！ ヘンなことは考えないっ！ 考えない、考えないっ！ このままだと指が血だらけになっちゃうよ！
顔を紅くして、ぶんぶんと頭を振ると、アルフォンスは繕い物に専念することにした。
縫いあがったシャツを広げて出来を確かめて、ふと空を見ればもう夕暮れだ。
――でもこれからは、だんだん日が長くなる。
「陰極まって陽を生ず――か」
習い覚えたシン国のことわざをつぶやいてみる。
夢の中の兄も同じようなことをいっていた。
『元々は春の訪れを祝う祭り。再び太陽が――希望が生まれるのを祝うんだ。俺たちの世界と同じだよ』
兄は昔から変わらない。夢の中ですら。
いつだってそんな風に、自分が得た知識をアルフォンスに語ってみせるのだ。ほんの少し得意そうに。
鼻の奥がツンとした。
「みっともないな。もう子供じゃないのに泣くなんて」
こぶしで涙をぬぐって、アルフォンスは無理やりに笑顔を作った。
――大丈夫、あの夢はきっと予兆だよ。明けない夜はないし、長い冬のあとには必ず春が来るんだ。そういう夢なんだから。だから……。
「信じてる」
自分自身に言い聞かせるように声に出して言ってみる。
「もう一度兄さんに会えるって」
――くよくよしたって始まらない。どうにかして兄さんを探す方法を見つけなくちゃ。
兄が生きていて、にもかかわらず戻ってこないのだとしたら、その理由はなんなのだろう、とアルフォンスは考える。
軍に戻りたくないせいなのか、戻れないほど遠くにいるのか、何者かが兄を捕らえているのか、あるいはアルフォンスと同じように記憶を失ってしまっているのか。
なんにしても情報不足だ。軍の情報網にすら掛からないのだから、個人で探すことはさらに難しいだろう。
こんなとき、兄ならなんというだろう？
アルフォンスは心の中の兄に問い掛けてみる。
「どう思う、兄さん？」
心の中の兄が答えた。
『隠れているなら、炙り出せばいい。そいつが出て来ざるを得ないような状況を作るんだ』
「どんな風に？」
『プライドを刺激する。好奇心を刺激する。あるいは恐怖心を煽る』
「プライドを刺激っていったって『チビの錬金術師出てこーい！』なんて国中で叫んでまわるなんて出来ないし……」
『おい、こら、誰が探しても目にみえないほどちっこいミジンコどチビの錬金術師かーっ！！』
そこまで考えてふと思いついた。
もし、ニセモノの”鋼の錬金術師”が現れたとしたら？
”鋼の錬金術師”の評判は高い。再び姿を見せれば、噂は広がるだろう。
それをあの負けん気の強い兄が、黙って見過ごすわけはないだろう。怒って飛び出してくるなんてことはないかもしれないけれど、興味をひかれることは間違いがない。もし、兄を捕らえている者がいるとしたら、そいつだって興味をもつだろう。それをきっかけに何かが動けば、手がかりが掴める。
良い考えかもしれない。ニセモノの”鋼の錬金術師”だったら、きっとアルフォンスにも演じられる。
兄とはそれほど似てはいないけれど、兄弟だから面差しにどこか通じるものはある。兄の特徴である金髪と金の瞳はアルフォンスも同じだ。兄には及ばないかもしれないが、錬金術だって使える。あとは――。
「髪を伸ばして、黒い服に赤いコートを羽織って、手袋をして……。銀時計もあったら完璧だろうけど」
なんだか楽しくなってきた。イズミに話したら怒られるだろうから、しばらくは秘密にしておこう。
立ち上がって服の埃をはらい、シャツを着た。
「待ってて、兄さん」
新しい計画を胸にアルフォンスはつぶやく。
「必ず貴方を見つけてみせるから」
(2005/05/29)
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アニメ版最終回後の捏造話。ダブリスで修行中のアルの話。
クリスマスSS「Froehliche Weihnachten」のアル側パートでもあります。なので、微妙にエドアルエド。この続きが漫画の「赤いコート」になります。
ほんとは立春ぐらいにリリースの予定だったのですが、ハイデリヒに萌えて先に進まなくなってしまい、再トライするも劇場版前売りポストカードの長髪コスプレアルを見たショックでまた筆が止まり、三度目の正直でようやく完成。
書いているうちに「赤いコート」に話がつながったので、かえってよかったかもしれません。
書き始めたのが、ずいぶんと前なので設定が微妙に変だったりします。アルの身長とか、記憶のこととか。
背景は無料写真素材 p-fan.netの素材を加工しました。