草原の中に描かれた巨大な錬成陣に手をかざしたまま、アルフォンス・エルリックは叫んだ。
「兄さん、もう無理だよ」
その錬成陣の内側に描かれたもうひとつの小さな錬成陣の上に屈みこんでいたエドワード・エルリックは、弟のほうを振り返ると短く答えた。
「あと少し！」
あのとき伝えられなかった言葉をどうしても伝えたかった。もう二度と会えない人たちへの想いも一緒に込めて。
青白い光を発している小さな錬成陣の中央には水鏡があった。だがエドワードが覗き込んでいるそれに映っているのは、青空でもエドワード自身の顔でもなく、遠く離れた世界にいる鈍色の髪の女性と金髪の青年の姿だ。
鏡の奥の人影に向かってエドワードはつぶやく。
「あのときは言えなかったから。ありがとう……アルフォンス。それから……ごめん、ノーア」
錬成光が消えるのと同時に水鏡もそこに映った影も地面に吸い込まれるように消えた。
屈みこんだままのエドワードの傍にアルフォンスが近づいて声をかける。
「兄さん、これで気が済んだ？」
アルフォンスの言葉にエドワードはゆっくりと立ち上がる。
「悪かったな、無理させて」
「ほんとだよ！ でも、もうこれで最後だからね」
アルフォンスがポケットから何かをひとつかみ取り出す。手を広げると粉々になった赤黒い石のかけらがパラパラと地面に落ちた。
「赤い石もないし、門も壊したから、もう向こう側を見ることはできないよ」
そしてまだ錬成陣の痕を見つめているエドワードに問いかけた。
「もしかして……兄さん、本当は向こう側に残りたかった？」
「いいや」
「だったら何でひとりで向こうに戻ったりしたのさ」
「誰かが門を壊さなきゃならなかったからだ」
「バカ兄！」
叩きつけるようにアルフォンスが叫んだ。
「たったひとりで世界を背負うようなこと言ってっ！ 残される側の身にもなってよっ！ 兄さんのバカ！」
「ごめん……アル。でも、おまえだって相当ムチャしたじゃないか。――昔のオレみたいだ」
「真似しているうちに似ちゃったんだよっ！」
言いかえすアルフォンスの目には涙が浮かんでいる。
「ごめん……アル」
エドワードは繰り返す。
二人が立つ場所からは、まだ煙が上がっている市街地が見える。
アルフォンスは煙を見てつぶやいた。
「きっと、たくさん……人が死んだね」
「……ああ」
「ボクはこれからどうすればいいのかな……」
「少なくとも後悔よりも先にするべきことがあるはずだ」
「うん」
エドワードがうなだれたアルフォンスの頭を抱き寄せる。
アルフォンスはエドワードの首に手を伸ばして、両腕を巻きつけた。
「そうだ、まだ言ってなかったね。今度こそ本当に、おかえり、兄さん」
「……ただいま」
そのときエドワードがふと洩らした笑いに、アルフォンスが怪訝な顔をする。
「何がおかしいの？」
「いや、オレのほうが背が高いなと思って」
「すぐに追い越すよっ！」
そう言いながらアルフォンスは錬成陣跡に目をやり、心の中で付け加える。
――向こう側の……あの人みたいに。
そうして――。
懐かしげに空を見上げるエドワードにアルフォンスが呼びかける。
「行こうよ、兄さん。みんなが待ってる」
End
背景は青空飛行の素材を使用しています。