腹部に衝撃が走り、視界に映る天と地が逆転した。
焼けつくような痛みに、アルフォンス･ハイデリヒは自分が撃たれたことに気づく。
――エドワードはたどりつけるだろうか……彼の……世界に。
薄れていく意識の中でぼんやりと思った。
――せめてもう一度、彼の微笑った顔を見たかったな……。
*
「アルフォンス……アル」
呼ぶ声がした。柔らかな女性の声だ。
――母さん？ グレイシアさん？
「気が付いたのね、アル」
褐色の肌の鈍色の髪の女性がアルフォンスの額に手を乗せて覗き込んでいた。アルフォンスはベッドに寝かされているらしい。
――誰だっけ？
まだはっきりとしない頭でその女性の名前を考える。
「……ノーア？」
その名を呼んだとたん、意識の隅で白いドレスがひらめいた。よみがえるのは喪服の人々と埋められる棺の記憶。
「僕は……死んだんじゃないのかな……自分が埋められるのを見たし、僕の墓の前で君が踊っているのを見た。――あれ？ それを見たんなら、僕は死んでいないのかな」
「あまり一度にしゃべらないで」
ノーアがアルフォンスを制する。
「それは、あなたの夢――あるいはあったかもしれない物語。でも今は……」
ノーアが握り締めていた右手を開く。手のひらの上には赤く輝く石が乗っていた。
「エドと彼の弟があなたを助けたの――まだ間に合うかもしれないって、この石で」
「……弟？」
「ええ、エドと一緒にこちらに来たの」
ではエドワードは望んでいたものを手に入れたのだ、とアルフォンスは思った。
「本当はこちらの世界ではこれは使えないはずなの。エドにも彼の弟にも使えなかった。でも私はこの石の力を引き出すことができる。夢を読むのと、やり方は同じだから」
「エドワードさんは……」
「帰ったわ。自分の世界に」
ノーアが悲しげに微笑む。
「エドは門を壊してこちらに残るつもりだった。ふたつの世界を守るために。でも、そんな風に守りたい故郷があるのなら……帰れる故郷があるのなら……帰してあげたいでしょう？」
「どうして一緒に……」
行かなかったのかと問う。
ノーアもまた、エドワードの世界に焦がれていたのではなかったか？
「こちらで門を壊す人間が必要だったから。それに、どんなに美しい世界でも、向こうは私のための楽園ではないってわかったから」
それだけ言うと、ノーアが赤い石を壁に向けた。
「見て、エドが呼んでる」
赤い石から光が伸びて、漆喰の壁に黒い線の図形が描きだされた。いつもエドワードが描いていたような円陣だ。壁の図形の線が青白い光を発すると、円陣の中央に青空が映った。
「何？ 映画？」
「いいえ」
ノーアが否定するのと同時に壁の向こう側からくもぐった声が聞こえた。
「ノーア、ノーア、そこにいるのか？」
「いるわ、エド」
壁に映った青空の中に不安げなエドワードの顔が覗いた。
「ふたりとも大丈夫か？」
「無事よ。ほら、アルフォンスも」
ノーアはベッドの上に身を起したアルフォンスの顔の前に赤い石をかざす。
壁に映るエドワードが安堵の表情を見せる。
「見えるかな、ノーア。約束どおり、これがオレの世界だ。もっともこの位置からだと空しか見えないかもしれないけど」
「見えるわ。きれいな空」
ノーアが言う。
「でも……こちらと同じなのね」
「そう。同じさ」
「兄さん、もう無理だよ」
壁の向こうからもうひとつ別の声がした。少年の声だ。
アルフォンスからは見えない位置に誰かがいるらしい。兄さんと呼ぶからには、エドワードの弟なのだろうか？
「あと少し！」
そちらに顔を向け短く告げると、エドワードはまた向き直る。
「あのときは言えなかったから。ありがとう……アルフォンス」
エドワードが微笑む。何かをこらえているような笑顔だった。
「それから……ごめん、ノーア」
そして唐突に壁に映ったエドワードの姿も円陣模様も消え、そこにあるのはただの漆喰の壁だけになった。
赤い石は、ノーアの手の中で輝きを失って黒ずんでいた。
「彼は、帰れたんだね？」
「ええ」
「彼の弟も一緒なんだね？」
「ええ」
「それなら……いい」
枕に頭をあずけて目を閉じる。何かが頬を伝っていく。
――たとえ二度と会えなくても……。きっとエドワードは幸せだから。
彼の笑顔をもう一度見ることができて良かったと思った。
背景は青空飛行の素材を加工して使用しています。