「なぜ私が、甲斐性のないおまえたちのために、そこまでしてやらなければならないんだ」
執務室の机の上に積み上げられた書類の一枚を手にしながら、ロイ･マスタング大佐は
ハボック少尉のもってきた「冬祭りの夜間巡回慰労会兼新年パーティ」のスペシャル・イベントに関する提案を不機嫌そうに却下した。
「ターゲットを一人に絞れ、しかも動きが予測できるようにその相手を教えろとは」
新年のスペシャルイベント――暗闇の三分間のキス無礼講――において、ロイ・マスタング大佐は常に台風の目のような存在だ。たとえ本人が動かなくてもその周りでは混乱が起こっている。ただでさえ数の少ない女性たちがロイを目指して移動を開始し、その女性たち目指して男たちも動くからだ。
首尾よく目的の女性を捕まえたと思ったら、ターゲットは既に動いていて、男ふたりが鉢合わせしただけだったという笑えない「事故」も多数起きている。もっとも中には「事故」ではない場合もあるのだろうが、そのあたりは追及しないでおく。
ハボック自身、キスしようとした相手の頬に髭剃りあとの感触を発見して、慌てて逃げ出した経験がある。あのときの相手は誰だったのか？ いや、それも追及しないでおく。
そんな混乱をよそに、マスタング自身は来るものは拒まずの姿勢で、集まった複数の女性の相手をしているらしい。らしいというのは誰も見たことがないからだが（なにしろ暗闇だ）、アイツならやりかねんというのが周囲の一致した意見だった。あぶれた男たちの間から「独占禁止」の声があがるのは当然の成り行きだった。
できることならマスタングにはパーティへの参加を取りやめてもらいたいぐらいだが、（情けないことに）彼が出席しないとわかると女性の参加率が落ちるのは目に見えてる。だからせめてターゲットを一人に絞って欲しいというのが、東方司令部のモテない男どもの切なる願いだったのだが……。
「もし仮に目当ての人間がいたとしても、そんなことは最高機密事項だ」
「そりゃそうでしょうがね」
ハボックは今回は簡単に引き下がるつもりはなかった。いままでさんざんこの上官に恋路を邪魔された身としては、一矢報いてやらねば気がすまない。なんとしても大佐の女性独占を阻止し、今年こそは恋人を獲得するのだ。
つとめてさりげない風を装って、ハボックは切り札を持ち出した。
「そういえば、今年は鋼の大将も新年パーティに参加するそうですよ」
「鋼のが？」
上官の形のいい眉が持ち上がるのを、ハボックは見逃さなかった。
「ええ、たまたまこっちにくるというので、せっかくだから誘いました」
「大人の集まりに子供を参加させるのは感心しないな」
表情は変わらないが、声に不快の念が混じっている。
脈ありだ。ハボックは心のなかでガッツポーズをとる。ロイ・マスタングを動かすならエドワード・エルリックを引っ張り出せとアドバイスをくれた人物に感謝の念を送る。
「子供ったって軍属ですしね。みんなが楽しんでるのに仲間はずれってのも可哀想っしょ」
もっともらしくハボックは続ける。
「まあ、お子様は『大人の時間』になる前にお帰りいただけばいいんですよ。もっとも帰したがらない奴らも多いでしょうけど。ちょっかいをかけてくる奴もいるんじゃないっすかね。大将、かわいいし。あの口の悪ささえなければ十分に美……」
マスタングがいきなり立ち上がったために、調子にのったハボックの言葉は途切れた。
「ハボック……」
それはいままで聞いたことがないほど殺気のこもった、低い声だった。
――やばいっ。オレ、燃やされちゃうかも。
ハボックはタバコを唇に張り付かせたまま固まる。だが、続く上官の言葉がかすかな笑いを含んでいるのがわかると、安堵のため息をついた。
「けっこうな策を弄(ろう)するようになったじゃないか」
「そ、そりゃ、上官のお仕込みがいいですから」
マスタング大佐がきっぱりとハボックに告げた。
「エドワード・エルリックは私が「保護」する。甲斐性のない連中に伝えたまえ。今年の私のターゲットは鋼の錬金術師だ。だから邪魔するな――と」
この時期にエルリック兄弟を東方司令部に呼び寄せようと画策したハボックたちの努力が報われた瞬間だった。
マスタングのターゲットの噂はまたたく間に東方司令部の男たちの間に広まった。（一部の女性の間にも広まったかもしれない）
反応は「冗談だろう」「陽動に違いない」から「やっぱりそういう趣味か」まで様々だった。
「最後のが正解。ありゃ本気だよ、多分」
新しいタバコに火をつけながら、ハボックはつぶやく。自分たちの目的のためにエドワード・エルリックを人身御供にするような形になったのは心苦しいが……。
「でも鋼の大将のほうも、まんざらでもないと思うんだよな。だから勘弁な」
一応は恋の仲立ちだから、と自分を納得させるハボックだった。
End
背景素材は篝火幻燈からお借りしました。