Lost Heaven

「やはり『鋼』の銘を継ぐ気はないのか？　アルフォンス・エルリック」
　青い制服を着た黒髪の眼帯の男が尋ねる。
「すみません、マスタング准将。『錬金術師よ大衆のためにあれ』というのが師匠の教えですから」
　自分が答える。
「それに――『鋼の錬金術師』は兄さんのための名前だから」
　その人がここに居ないという事実が胸の奥に痛みを残す。

　*

　そんな夢から覚めて、僕は自分の名前を確認する。

――僕は……アルフォンス・ハイデリヒ。

　そして、隣で眠っているはずの人の存在を確かめる。
　毛布から覗く蜂蜜色の髪を見て、安堵する。
　手を伸ばして、その髪をそっと撫でる。
「ん……」
　金色の眼が開いて僕を見つめた。
「ごめん、起した？」
「……続けろ」
　エドワードがつぶやいた。もっと撫でろということらしい。
　そのまま指で髪を梳いてやると、彼はとろとろと再びまどろみの中に戻っていた。
　普段は周囲の警戒を怠らない金色の獣を思わせる彼が、こんなときは無防備に安心しきった猫のように見える。
　金色の頭を抱き寄せて彼の体温を感じながら、僕は彼の傍らにいられる幸せと夢の中での喪失感とを思う。

　*

「何でいつも乳製品が出るんだ？」
　朝食のテーブルを見て、エドワードのいつもの愚痴が出た。
「ひとつ、この国では乳製品が安い。ひとつ、乳製品は栄養がある」
　僕は理由を数え上げる。本当はもうひとつ理由があるけれど、それは言わないでおく。
「バターはいい……。チーズは……なんとか我慢できる。フォンデュは願い下げだけどな。でも、これは……」
「絞りたてだそうだよ」
　エドワードはミルクの器を取り上げて、眉を寄せながら中身を慎重に数滴づつコーヒーカップに落としていく。なにもそんなに無理して飲まなくてもいいと思うのだが、彼なりに苦手を克服しようとしているらしい。
　実のところ毎朝ミルクを出すのは、彼のそんな姿を見たいためだ。僕のささやかな楽しみ。エドワードは眉を寄せている顔が一番可愛いと思う。

　でも、これから彼に話すのは、そんな穏やかな日常を壊してしまう事柄なのかもしれない。

――それでも君に伝えたい。

　僕は深呼吸した。

　*

　さりげなく僕は切り出す。
「今朝、アルフォンス・エルリックになった夢をみたよ」
　エドワードの視線が鋭くなる。
「それで？」
「同じ夢を何度も見るんだ。もしかしたら、ただの夢じゃないのかもしれない」
　一度や二度なら偶然。けれども、これだけ繰り返すのなら多分それには意味がある。

『向こうで弟に会えたんだ。あいつは、きっと向こうで幸せに生きていく』
『オレはこの世界で生きていくことに決めた』

　そういって、エドワードはふっつりと「別の世界」の話をするのを止めた。
　僕の上に誰かの面影を探す素振りもなくなった。

　夢の話を言うべきかどうかずっと迷っていた。
　でも、今の君は他の誰かではなく、僕自身を見てくれている。
　だから言える。言わなくちゃいけないと思う。

「朝っぱらからつまらない冗談はやめろ」
　不機嫌そうに視線をそらす彼に構わず、僕は続ける。
「マスタング准将は――黒い眼帯をしていた？」
　エドワードが振り返る。
「なぜそれを知ってる？」
「夢で見たから」

　エドワードから黒い眼帯の将校の話を聞いたことはない。
　何度も夢で見るその男が実在するのなら、僕の夢は単なる夢じゃない。

　*

「アルは……弟は元気なのか……その……夢の中で」
「青い服の人たちと、建物を直していたよ。みんなに可愛がられていた」
「今でもオレの真似してんのかな……」
「自分の顔は見えないから、君の弟がどんな風なのかは分からないんだ……。でも深緑色のコートを着ていたよ」
「そっか。オレの真似は止めたんだ」
　エドワードの顔が歪んだ。一瞬泣き出すんじゃないかと思ったけれど、そんなことはなかった。
「おまえと弟のアルは、どこかで繋がっているのかもしれない。でも――」
　エドワードが薄く笑った。
「オレはここに居るし、おまえもここに居る。だから――夢の話は……もういいんだ」
　エドワードは嘘が下手だ。
「でも聞きたいでしょう？」
　金色の瞳が伏せられた。
「たまには……な」
「話してあげる。また夢をみたら」

――伝えてあげるよ。君の居た世界のこと。君が愛している人たちのこと。

　僕はエドワードを抱きしめる。

　*

　僕はエドワードが失った世界のことを想う。
　僕はエドワードを失った世界のことを想う。
　彼を愛するそこに残された人々のことを想う。
　彼のいない世界で生きるのはきっと辛いことだろう。
　だから、せめて彼がここに居ることが伝わればいいと思う。
　彼の幸せを願う者がここにも居ることを伝えられたらいいと思う。

(2005/08/09)

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劇場版の捏造エンディングその2の続編に当たります。「LOST HEAVEN」で「LINK」です。
スイスでいちゃいちゃハイエド同棲生活編のはずだったんですが、元の世界に残された人たちのことが気になって、なんとなくほろ苦い感じの話に。

エルリックのアルがハイデリヒのことを夢で見るというのは公式設定なので、まあ、逆もあるかなーと。ハイデリヒの魂がアルの中に入っているのか、アルの（離れやすい）魂の一部がハイデリヒの中に入って記憶がハイデリヒに流れ込んでいるのか、どっちなのかは不明。（どっちでもいい）
ハイデリヒのための捏造とはいえ、兄弟が離れてしまうのは悲しいので、せめてこんな形で繋がっていて欲しいなと思います。

ただ、エドとのコトの最中にハイデリヒとアルの意識のリンクが確立しちゃったりすると、ちょっと困るよねとか思います。アル君がたいへんなことに……。

出来上がっているので、ハイデ→エドの二人称は「君」。