月の薔薇

　月光が照らし出す薔薇の園に足を踏み入れ、金髪の子供は花を手折る。その手の中で薔薇は枯れる。そうやっていくつかの花を手折ったあと、子供は開きかけた蕾のひとつに手をかけようとしてやめ、代わりに顔を近づけてその香りを吸い込み、かすかに笑った。

「あんたのペットは機嫌よさそうね、エンヴィー」
　その様子を眺めながら、長い黒髪の黒衣の女は言う。
「あいつは薔薇が好きなんだ」
　エンヴィーと呼ばれた黒髪の少年は答える。
「相変わらず食餌をせずに、薔薇ばかりなの？」
「人の血はダメだな。無理強いすると吐く。牛や馬の血はなんとか。あとは薔薇ばっかりだ」
「それでよく飢えないわね。やっぱり『金目』だからなのかしらね」
「かもね」
　エンヴィーは肩をすくめた。
　「金目」とは、彼らの一族と人間との混血のことだ。滅多に生まれない珍しい存在だ。
　彼ら一族は人の血を糧に生きるが、偶然から一族に引き入れられた金髪金目の子供は頑なにそれを拒む。強情さに苛立って痛めつけたこともあるし、限界まで飢えさせようとしたこともあったが、今は薔薇を与えて好きにさせている。
　どれほど痛めつけようが、あの子供の頑なさは変わらないのだ。それならば、薔薇を与えたときに時折みせる感謝の表情を見るほうが、ずっと気分はいい。
「陽光にも耐性があるんですって？」
「みたいだな。普通に動けるわけじゃないらしいが、灼かれたりはしない」
　エンヴィーは自分の右手の火傷の痕を見た。
　何度皮膚を再生させようと、時が経つと浮き出てきてしまう、陽光による刻印だ。
　日の光は危険だから気をつけろと言ったとたん朝日の中へ飛び出した子供を止めようとしたときに出来た痕だ。ほんの一瞬光に当たっただけでエンヴィーの手は爛れたが、子供は怯えた顔で光の中に立ちすくみながらも、生きていた。
　あのとき逃げようとしたにしろ死のうとしたにしろ、結局子供は戻ってきて、いまもここにいる。
「貴重なサンプルなんだから、逃がしたり死なせたりしちゃだめよ」
「わかってるって。弱みを握ったから、もう勝手はさせないさ」
「どうやったの」
「人質をとった。あいつが昔住んでた村の人間を皆殺しにしてやるっていったら、おとなしくなった」
「相変わらず、やることがえげつないわね」
「うるせぇな」

　エンヴィーは薔薇を摘んでいる子供に再び目をやった。
　月の光の下で金の髪が淡く輝いている。
　確かにあれは、美しく貴重な存在だ。
　すでに闇の眷属の身でありながら、「人」であることに拘るあの子供もそのうちに悟るだろう。不死の一族にとっては、「人」は瞬く間に枯れて散っていく薔薇の花と同じように儚い存在でしかないことを。時の流れによって消えていくものたちの中にあって、彼ら一族だけが永久に変わらず生き続けるのだということを。
　そしてそのとき知るだろう。その金色のまなざしを向けるべき相手は誰なのか。
　その日のことを思い浮かべて、エンヴィーは思わず頬をゆるめた。
　そう、気長に待つのも悪くない。なにしろ彼らには時間は充分にあるのだから。

2006/07/06
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すみません、なぜかエン→エド。本編ではエンヴィーはうろちょろしてますが、もちろん兄弟らぶです。
ホーエンハイムも「金目」でエドとアルはクォーターなんですが、うまく情報を入れられませんでした。無念。