日が落ちると急に風が冷たくなった。
「兄さん、一番星だ」
家々と葉を落とした街路樹の黒いシルエットの向こうに、オレンジから淡い黄色、水色、紫へと色を変えて染まった空が広がり、その中ほどに、ぽつんとひとつ明るい星が輝いている。
「金星か」
「きれいだよね」
「まあな」
兄の言葉はそっけない。
「兄さんはさ、もっと美とロマンチックの概念を学んだほうがいいと思うな」
「くだらねぇ」
アルフォンスの足を止めさせた美しい夕暮れ時の風景も、エドワードにかかっては形無しだ。
「今の季節は空気が澄んでいるから、星もきれいに見えるよ」
「宵の明星が出ているのは、あと1ヶ月ぐらいだ。しばらく沈んで、次は明け方に出る」
星の美しさに興味はなくても、知識だけは豊富なのが兄らしい。
「夜明けの明星になるんだね」
同じ星を明け方に眺めたこともあった。
たとえば始発の汽車を待つ駅のベンチで。冬の夜明け前の濃紺の空にちりばめられた星々の中でも、あの星はひときわ明るく光っていた。
あのときは、うとうとと寄りかかってくる兄に、自分の鎧の冷たさが伝わらないようにと随分と気遣ったものだ。
でも今は――。
アルフォンスは手袋を外して、兄の頬に手を当てる。
「なんだよ、アル」
「頬が冷たい」
「そりゃ寒いから」
「兄さんのほっぺたを冷たいと感じるってことは、ボクの手は温かいってことだよね？」
「ああ、温かいさ」
アルフォンスの手に兄の右手が添えられた。その右手も温かい。
もう何度も繰り返されたやり取りだけれど、それでも確かめずにはいられない。
「兄さん、もっとこっちに寄って」
「なんで」
「寒いから」
寒いんなら仕方ないとつぶやきながら、少し困った顔をして寄り添ってくる兄の身体を後ろから抱きとめた。コートの表面のひやりとした冷たさも、すぐに互いの体温で心地よい暖かさに変わる。
「アル、歩きにくいから、少し離れろ」
「やだ、寒いんだもの」
ようやく点った街燈の光を受けて、兄の金髪が煌く。
明けることのない暗い夜にも似た日々の中で、この人だけがアルフォンスの光だった。決して沈まぬ明星のように。
触れることすら適わなかった光は、今は腕の中にある。
アルフォンスは兄の身体にまわした両腕に力をいれた。
「愛してる」
耳元に唇を寄せてそっと囁けば、一瞬の間の後、
「オレもだよ」
と、小さな声が返ってきた。
2005/12/21